仙人掌

音楽成分多めですが徒然なるままに。

感情を言語化するということ

たまにはクラシック音楽以外の話題でも、って思ったけど結局音楽であることには変わらずですね。

 

敬愛(というか崇拝レベル)しているバンド、BUMP OF CHICKENのニューアルバムが告知され、ツアーも発表され、狂喜乱舞の中、早速埼玉と名古屋に行けることになりとりあえず秋までは死ねない、という心持ちです。

 

ずっと興味はあったのですが、友達と話しているときに「やってないとかBUMPファンとして失格だからな」と釘を刺された『ファイナルファンタジー 零式』を今更ながらプレイしております。

ファイナルファンタジー零式 - PSP

ファイナルファンタジー零式 - PSP

 

まだクリアしてないので、エンディングを見た後、またこの曲への感じ方も変わるのかな、と思っている次第。

元々、『RAY』というアルバムはおろか、それ以外の曲と比べても重さと密度が桁違いな曲だと感じていましたが、ゲームをやってなんとなくその意味も分かってきた気がします。

 

 

 

 

 

普段やっているような理屈っぽいことはいくらでも言えるのですが、こう歌詞と音楽を聴いた率直な感想を言語化する、っていう作業が未だに至難です。

個人的にはそれができるようになる、のがこのブログの目標なわけで。マスターできるなんて思っちゃいませんが、それっぽい振りはできるようになるかな、と思っています。

 

この歌もずっと好きで、ゲームをやってもっと好きになりそうで、東京ドームのライブで初めて生で聴いた時も泣きそうになりまして、そういう感じたことがちゃんと自分の外側に出ていかない、っていうの結構辛いんですよね。

普段は作曲とか演奏とかを捌け口にしているんですが、万能じゃなかった、っていうのがここ最近の経験なんです。それはまたいずれ。

 

ものすごく斜に構えた見方で自分で自分が嫌になるんですが、やっぱり「言葉にできない感動」みたいなキャッチコピーを見てしまうと、この人はいったいどれだけ言語化する努力をしたのだろうか、と疑問に思ってしまうわけで。

言葉にしようとして、表現しようとして、いろいろぶつけようとして、それでも言語化できなくて伝えられなくて、そういう苦しみの果てに自分の中で心が動かされる体験ってあるような気がします。

安い感動なんていらない、って言えるほど経験をしたのか分かりませんがね。

 

言葉は上手に使ったら 気持ちの側まで 近付けるけれど

同じものにはなれない 抱えているうちに 迷子になったよ

 

もっともっと勉強することは山積みです。