仙人掌

音楽成分多めですが徒然なるままに。

光をもたらす和音と三全音~オペラ座の怪人

ここ最近、仕事で関わっているミュージカルの金字塔、「オペラ座の怪人」について。

劇団四季のあの残念な訳詞でいろいろ落ち込んでいますが、気を持って取り組んでおります。いや日本語に直すって本当に大変なのでしょうがないんですけどね。

なんといっても大好きなミュージカルなので、ただ聴くだけでは分からなかったところまで見えてきて、とても楽しいですね。

オペラ座の怪人(完全版)

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  • アーティスト: オリジナル・ロンドン・キャスト,マイケル・クロフォード,サラ・ブライトマン,スティーヴ・バートン,ジョン・サヴィデント,デヴィッド・ファース,ローズマリー・アシェ,メアリー・ミラー,チャールズ・ハート,リチャード・スティルゴー,マイク・バット
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/02/04
  • メディア: CD
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オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン [DVD]

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このミュージカルは、光を象徴するラウルと闇を象徴するファントム、そして双方を揺れ動くクリスティーヌが織りなす物語を全編音楽が続くオペラ形式で彩ります。

各ナンバーはとても魅力的な旋律でいっぱいですが、このミュージカルのラストは、弱音による五つの特徴的な和音で迎えます。コードネームで書くとこんな感じ。

G♭ → E♭m → Dm → C → D♭


The Phantom of the Opera - Finale - Original Cast Recording (23/23)

これの2:55~

 

変ニ長調のⅣ度から始まり、四つ目で裏コードに到達し、変終止で主和音を導き出します。

最上声部の動きも特徴的で、

D♭ → E♭ → F → G → A♭

という音階になっています。考え方としては二種類。

①1~4つ目が全音音階となっており、三全音へと到達する

②変ニ音を中心とするドリア旋法

私は①の考えを採用。三全音による音(もしくは調性)の対立というのは、水と油のような違いを生み出す表現として常套手段です。裏コードというのも、言い換えれば三全音関係にある最も遠い和音に置き換える方法です。

 

個人的にすごくうまいと思うのはR.シュトラウスの「家庭交響曲」での三全音の使い方。

どうしても三全音というと「悪魔の音程」というイメージが強く、リストの「ダンテを読んで」の地獄の暗示だったり、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のような和声の崩壊に根差すものなどが多いです。ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ和音」も三全音関係にある和音を同時に鳴らすことで心をもつ人形の不安定さの表現をしていますね。

しかし、R.シュトラウスのそれは題名のとおりそんな物騒な描写など全くありません。ごくありふれた日常風景を音楽にしたものですが、夫(=R.シュトラウス自身)の主題をヘ長調、妻(=パウリーネ)の主題をロ長調と他人同士が一緒に生活する結婚というものを三全音関係の調性で表現しています。

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夫の主題

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妻の主題


さらに子どもの主題にニ長調と、ヘ音とロ音からちょうど等間隔にある調性を用いて、二人の血を分けた存在であることを表現します。直訳で「愛のオーボエ」である独特の甘く優しい音が鳴るこの楽器に、子どもの主題を任せるところもニクい演出。

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子どもの主題(調号はニ短調

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調性関係図(Wikipediaより加工)

上図を見ると分かるとおり、五度圏という調性関係図だと夫と妻は直径上、つまり最も遠い関係の調性であり、三全音の関係にある調性です。そして子どもはちょうど真ん中です。

 

ここらへんのことはまた今度、ちゃんとまとめて記事にしたいですね。他にも面白い仕掛けがいっぱいある曲ですから。

 

 

閑話休題

 

オペラ座の怪人」のこの和音は、前述のとおり、三全音関係としてサブドミナントの裏コードを用いています。この対比はまさに光へと導くラウル子爵と闇へと導く怪人ファントムを象徴していますが、調性関係ではむしろ同一の存在として語られています。

ラストを飾る上述の和音はこのミュージカルの中で三回出てきます。

  1. The Music of the Night のラスト
  2. All I Ask of You の導入
  3. Finale のラスト

①と③は曲の構成としては全く同一ですが、The Music of the Nightは嬰ハ長調で、All I Ask of YouとFinaleは変ニ長調で書かれています。

いわゆる異名同音調というものですが、なぜわざわざ分けたのでしょうか。嬰ハ長調という調性はこのミュージカルではThe Music of the Night以外で使われておりません。全ての音に♯が付くという極めて特異な調性ですが、その響きのどことない濁り方、鋭利な輝きは、孤独におびえながら道を踏み外していくファントムが歌う闇の世界とマッチしていると思います。R.シュトラウスの楽劇「サロメ」も、種類は違いますが闇を抱えていてどこか浮世離れしたような表現として、嬰ハ長調が特徴的に響きますね。

それに対して変ニ長調はとても柔和に響く調性です。決して祝典のような明るさはありませんが、包み込むような、そして郷愁を誘うような、人を落ち着かせてくれる調性です。美しい名曲が多い調性でもあり、ドヴォルザークの新世界交響曲第2楽章、ラフマニノフパガニーニ狂詩曲第18変奏、ドビュッシーのベルガマスク組曲から「月の光」と枚挙に暇がありません。

 

ファントムは嫌悪と孤独からその激情を作品と演者にぶつけ、芸術家、あえて言うなれば表現者としては一流を誇ります。しかし、たった一人の愛する人へ何の飾りもない純粋な自分の気持ちの表現は全くできません。

そこでクリスティーヌへ本当に自分の気持ちを告白するときは、いつでもラウルの真似をします。

第2幕、劇中劇「ドンファンの勝利」の途中、ファントムによるAll I Ask of YouのRepriseでは、

Say you'll share with me one love, one lifetime...

Lead me, save me from my solitude...

(ただ一つの愛と人生を私と分かつと言ってくれ…

 私をこの孤独から導き、救ってほしい…)

 と歌いますが、これは第1幕でラウルが歌う、

Say you'll share with me one love, one lifetime...

Let me lead you from your solitude.

(ただ一つの愛と人生を僕と分かつと言って欲しい…

 僕が君を孤独から導きだそう)

 と全く同じメロディに乗せて反芻しています。The Point of No Returnの中でいきなり現れるこのメロディは、下手すると陳腐に聴こえてしまいますが、ファントムが作った劇の中ででも、自分の気持ちを伝えるときには屋上で二人が歌っていた旋律を借りてくるしかない、という哀れさの表現として効果的です。

劇中で繰り返されるI love youのテーマ(終止定型)も同じくで、ラウルはAll I Ask of Youの後にはっきりとクリスティーヌに伝えますが、ファントムは最後の二人を逃がした後、指輪を渡しに来たクリスティーヌにつぶやくようにラウルと同じテーマを伝えます。結局は最後もラウルを真似することでしか気持ちが伝えられないファントムの悲しさは、察するに余りありますね。

ある意味これは二面性の提示です。異名同音調による表と裏のような違いを提示しながら、その根底はクリスティーヌに対する同じ気持ちです。

 

ラウルのテーマであるAll I Ask of You、ファントムのテーマであるThe Music of the Night、両曲は最後に融合を遂げます。これはラストを計算に入れた上で元からそういう作曲の仕方をしたのでしょう。遠ざかるAll I Ask of Youから自然にThe Music of the Nightへとつながり、変ニ長調(=ラウルの調性)の温かくも神秘的な五つの和音の響きでミュージカルは終わります。

ファントムが歌う最後の歌詞、

It's over now, the music of the night...

(夜の調べが、いま終わる…)

つまり、夜(=闇)を浄化する和音こそが最初に説明した五つの和音です。

 

そして、All I Ask of Youでは導入として、さしずめ昼(=光)を生み出す和音として印象的な対比をもたらします。

この昼⇔夜、光⇔闇というのは何度も述べているとおり、ラウル⇔ファントムの対比であり歌詞の中でも重要なキーワードとして歌われます。

The Music of the Night より

Turn your face away from the garish light of day,

turn your thoughts away from cold, unfeeling light---

and listen to the music of the night...

(燦然と輝く日の光から顔を背けるのだ

 冷酷で無情な光から思いを切り離すのだ

 そして、夜の調べに耳を傾けるのだ...)

Open up your mind, let your fantasies unwind,

in this darkness which you know you cannot fight---

the darkness of the music of the night...

(心を解き放て、空想に身を任せろ、

 この暗黒の世界に抗うことなどできないのだ

 夜の調べのこの闇になどな...)

 

All I Ask of You より

No more talk of darkness,

forget these wide-eyed fears.

(闇の世界の話はもうおしまいだよ、

 こんな目を瞠るような恐怖なんて忘れるんだ)

Let me be your freedom,

let daylight dry your tears.

(僕が君を自由にしよう、

 日の光で涙を乾かすんだ)

Let me be your shelter, let me be your light.

(僕が君の避難場所になろう、僕が君の光になろう)

 

「孤独」というのは本当に人を蝕むものです。近頃、公開(というかまだロングランしているのか?)していた映画「ボヘミアン・ラプソディ」でもその根底のテーマはスターの「孤独」でした。

「孤独」から救ってくれ、と訴えたファントム。

あなたは「独り」じゃない、とキスをしたクリスティーヌ。

僕が「孤独」から導こう、と援けたラウル。

救われたかは定かではありませんが、少なくとも、夜の闇に昼の光が差し込んだ、と最後の和音を聴けばそう言えるのではないでしょうか。

 

シンプルに人が人を想う切実さを描いたからこそ、ミュージカルの中でも今なおトップクラスで愛される作品なのでしょう。

 

um im Zauberkreis der Nacht

tief und tausendfach zu leben.

(夜の魔法の広い世界で、

 何千倍も深く生きるために)*1

芸術家が迷い込む夜の世界、それは愛や死を超越していく、作品の源のような気もします。

*1:喜多尾道冬/CD解説より、その他の英訳は自前