チャイコフスキーの(交響曲の)打楽器 その3
「小ロシア」だったり「ウクライナ」だったりと呼ばれていますが、これはウクライナ民謡を用いていることに由来します。
チャイコフスキーの中でも特に民族的要素が強い作品の一つですね。
第1番に比べると短いですが、その分、リズムや旋律の扱い方にはかなり進歩が見られます。
こちらでもまた第4楽章を採り上げていきましょう。
Tchaikovsky: Symphony No. 2 'Little Russia' — Bernstein / NYPO
ティンパニ以外は例によって第4楽章のみですね。
ティンパニは第1番で主音と属音に2個だったものが、3個使用に増えました。結構これってバカにできなくて、音替えなどもここから徐々に増えていき、和音に豊かな色彩をもたらします。第1番では和音の関係で削るしかなかった部分にも、1個増えるだけでその選択肢はかなり広がります。
今回のニューカマーはタムタムです。一発しかありませんが、その効果は強烈なものです。また、シンバルと大太鼓も基本は第1番と同様の使い方ですが、その効果が考えられた配置となっています。
この楽章は民謡「鶴」から採られています。
昔からどうしても「かえるの歌」にしか聞こえないんですよね
変奏曲的な展開の仕方をベースにしたソナタ形式で、旋律が明瞭であることから主題もそこまで大きくいじられません。拍節感もはっきりとしているため、第1番のような拍の強調というよりも彩りとして打楽器が用いられています。
順に見ていきましょう。
序奏も主要主題の全合奏から始まります。低音もしっかりしているため、途中で出現することなく、初登場は最後の半終止の和音一発の部分。
そこまでのシンプルなオーケストラの響きに打楽器の音色が加わることで、主部への導入を締まりあるものにしています。
以降の作品でチャイコの常套手段となる、ティンパニの属音残りも見られますね。
ここは第1番には無かった使い方です。金管楽器の裏打ちにシンバルの金属音を加わります。mfの金管楽器に対して、シンバルはpであるため、装飾としての効果の方を大事にしています。
低音が全音音階を演奏する中で、主題の冒頭を増三和音の関係で強引に処理している場面。このような五度圏図的な和声の組み方こそチャイコフスキーの面白いところであり、ゆくゆくはプロコフィエフを経由して、J.ウィリアムズの映画音楽などでも使われる手法となります。
打楽器パートは、その他のセクションと比べて時間軸がずれているような書き方になっています。
当初は主題の区切りを担当していますが、短縮形になると間隔が短くなり、ワンフレーズ分、早く裏打ちのリズムへと集約します。ティンパニの和声的な問題も含んでいますが、和音が豪快に変わったところでトレモロをやめることにより、全楽器による裏打ちにもスムーズに移行します。
その後は第2主題とも言うべき、シンコペーションと柔らかさの同居した流れるような旋律が出てきます。
元の主題が戻ってきたクライマックスの場面。打楽器における、この交響曲の一番謎な部分です。
フレーズとしては全く単純な4小節フレーズで主題を3度展開させる箇所。
シンバルの一発とともに始まる主題の盛り上がりに合わせますが、1回目はシンバル→大太鼓→シンバルなのに対して、2回目は大太鼓→シンバル→大太鼓という順に変化します。他の楽器は一切変化しません。
同様の箇所が再現部でも見られますので、後にもう一度振り返りましょう。
そのまま強烈な展開部へと進みます。ここでも主題の展開というよりも、主要主題と第2主題がほぼそのままの形で交互に扱われた後、融合します。ワンフレーズごとに目まぐるしく転調していく箇所ですね。
嵐のような激しさですが、構造としては単純です。主要主題が吹きすさぶ中、第2主題のリズムを掛け合いしています。大太鼓とシンバルはその頭を強調しています。
やはりこの形に集約されますが、ここではシンバルが低音、大太鼓が高音と役割が逆転しています。おそらく、低音の頭打ちが各和音の第7音(第3転回)という特殊な響きのため、大太鼓で不鮮明になることを避けたと思われます。
再現部の入りです。ここでは全楽器によるオーソドックスな強調。
ちなみに、ハ長調ではありますが、ここから第2主題の再現に至るまで一度も基本形の主和音は出てきません。後年のチャイコフスキーを彷彿とさせる属音ペダルの例です。
第2主題はほぼ型通りに再現されます。
問題の箇所その2です。譜例4と同じ小結尾ですが、ここではさらに対称となっています。
つまり、1回目が大太鼓→シンバル→大太鼓、2回目がシンバル→大太鼓→シンバル。
なぜこのような変化をつけたのでしょうか。
これは完全に私の想像です。
まず、譜例4と譜例8で変化している点としては、
- 変イ長調 → ハ長調
- ピッコロが リズム強調だけ → 旋律すべて
- ファゴットが 2ndのみ低音に混ざる → どちらも低音の動き
- ティンパニ なし → リズムに加わる
- シンバル フレーズの頭に1発ずつ → 2回目はなし
- 続くフレーズが ffでリズム → mfで別のフレーズ
目立つものはこんなところでしょうか。もちろん、内声の細かいオーケストレーションの違いもあります。
最大の理由は6.だと思います。楽器の響きの問題で、シンバルの方が余韻の残る時間は長いです。近現代の楽譜では「laissez vibrer」と「secco」によって響きを残す、もしくは止める、ということを指示します。
が、チャイコフスキーの初期の作品はまだそこらへんの書き込みは薄いため*1、曖昧なままとなっていますが、シンバルの方が長く伸びる分、特にリズムが延長線上にある譜例4の方では、2回目にシンバルが残ってしまうとリズムとしてメリハリが無くなってしまいます。むしろ譜例8のようにここを境に別のフレーズに進む箇所では、シンバルの響きが良い意味で継ぎ接ぎ箇所をぼかしてくれます。
それではなぜ同一箇所でシンバルと大太鼓の順番を入れ替えたのでしょう。
…なんで入れ替えたのでしょうね(笑)
ごめんなさい、屁理屈レベルの理由すら思いつきませんでした
違いをつけたかった、といえばそれまでなのですが、それにしても考えがどうにも掴めません。同じことを二度とやらない、なんて性質でもないでしょうに。これに関してはこのシリーズが終わるまでの宿題とさせてください…
ちなみに、今回譜例で取り上げているのは1880年の改訂版です。1872年の初稿版も確認しましたが、当該箇所は変わっていませんでした。第4楽章の違いとしては再現部の第1主題が提示部とほぼ同じように再現されていましたが、それが大幅にカットされたというのが大きな違いのようです。
コーダの一歩手前、満を持してタムタムの登場です。
その手前ではシンバルだけが独立してシンコペーションを叩き、歯切れをよくしていますね。
和音としてはハ長調の複短属九の根音省略、いわゆる減七の和音です。そこから、Fis→Es→C→A→Es→As→C→Fis、と進行していきます。
最初は上記の和音の分散形ですが、途中で第2主題の調性である変イ長調の分散形も混ぜていますね。最後は属音Gではなく、主音の三全音関係であるFis音に落ち着きます。そして、豪胆なタムタムの音色が響き渡ります。
チャイコフスキーのタムタムは最強音と弱音を効果的に使い分けます。
マンフレッド交響曲の第1楽章では、ラストでシンバルともども強烈なクライマックスを形成します。
かと思えば、フランチェスカ・ダ・リミニでは曲の幕開けを低弦とともに弱音で告げます。管楽器のコラールが途切れるたびに弱音が遠くから聞こえ、地獄編の雰囲気をよく表しています。
ここではマンフレッド交響曲や白鳥の湖などのような頂点を築くための使い方ではなく、不安定な音が消えようとする中、追撃するかのような一発が単体で鳴るため、ものすごく音色に気を遣う場面ですね。
コーダに入ってからはもう突き進むのみです。
打楽器としても小細工なしで派手に打ち鳴らしていきます。
打楽器の使い方、曲の構成、少しずつ以降の円熟した姿が見えるようになってきます。
次はティンパニしかありませんが、第3番に少し触れてみたいと思います。