勝手にそばにいてくれる唄と魔法みたいな夜
気づいたら秋も深まり寒くなってきましたね。これぐらいのふっとした時の更新の方が自分には合っている気がします。
三連休末の振替祝日は東京ドームで行われたBUMP OF CHICKENのツアーファイナルに参戦していました。結局、今ツアーは5回参戦できました。もう幸せでいっぱい…。
ツアーは終わってしまいましたが、さすがファイナル、では済まないような異様な熱狂ぶりでした。個人的に過去最高のエモさを誇ってたと思います。
アレンジやセットリストもさることながら、怒涛の「歌詞変え」。BUMPのファンなら周知の事実ですが、ライブでは発売シングルとは違う、その時にしか伝えられない藤くんの熱い想いが歌詞となって現れます。
「BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora ark」東京ドームDAY 2、そしてツアー全日程が終了!全国の皆さんありがとうございました。本日の様子も古溪一道さん撮影の写真でお楽しみください。Webや雑誌、新聞のレポートもお楽しみに! #auroraark pic.twitter.com/0SmArqnyIw
— BUMP OF CHICKEN (@boc_official_) November 4, 2019
「お前の未来がどんなにつらくてしんどくても、俺たちの音楽は絶対にお前を1人にしない」
最近のBUMPのどんな曲にも絶対に含まれている、BUMPの一番の信念だと思います。個人主義でありながらもはや博愛的な思想を見せていますが、初期アルバムの曲はもっともっと荒々しいものです。
もちろん、彼らはすでに40歳代でいろいろな経験をしてきていますから、そういった変化も当然ですが、それでも昔から、どんなに荒かろうと核となるこの信念は絶対的に変わっておらず、本当にすごいと思います*1。
藤くんが受け持つ雑誌のコーナーの最終回をきっかけに作られた「流れ星の正体」。アルバムでもライブでも必ずトリで歌われた曲です。
お互いにあの頃と違ったとしても 必ず探し出せる
僕らには関係ないこと
特に今回のメッセージと強く結びついてる曲です。
流れ星の正体を 僕らは"知ってた"
ツアーファイナルだけは過去形となった歌詞。それは終わりを示しているとともに、確信とともにちゃんと自分たちとリスナーのみんなの繋がりを再確認するものです。
自分の感覚では、アルバム『ユグドラシル』まではとにかく個人主義が前面に出ていたと思います。まだまだ、ある種藤くんの中の余裕のなさというか、世界と自分が対立していた感じです。
君に触れていたいよ 名前を呼んでくれよ (Title of mine)
話したいことは 山程あるけど なかなか言葉になっちゃくれないよ
話せたとしても 伝えられるのは いつでも本音の少し手前 (ベル)
愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる (ギルド)
例えば信じてくれよ こっちはなおさら疑うさ
それより触ってくれよ 影すら溶けてく世界で
影じゃない僕の形を (太陽)
そこで区切りがつくのが『ユグドラシル』のトリ曲、「ロストマン」。この曲はBUMPの転換点とも言える曲だと思っていて、9か月かけて苦しんだ末に生み出された歌詞は、もはや芸術の域に達していると思います。
間違った旅路の果てに 正しさを祈りながら
再会を祈りながら
そこからアルバム『orbital period』と『COSMONAUT』が来るわけですが、この2つについては模索期です。特に『orbital period』はかなりやりたいこと、やるべきこと、やれること、これらが何かを探ってる印象が強いアルバムです。
勇気はあるだろうか 一度手を繋いだら
離さないまま外まで 連れていくよ 信じていいよ (メーデー)
一人では無理なことだから 誰かとの間にあるから
どちらのものでもない 名前のない それだけに出会いたい
(ひとりごと)
『orbital period』は詞の模索をしています。信念は変えずに、いろんなアプローチの仕方で視点のバランスを取っていたと思います。
逆に、『COSMONAUT』ではサウンドの模索をしていたと思います*2。むしろ、詞に関してはこれ以降の下地がほぼ出来上がっていると言ってもいい。特によく表れているのが下記の2曲。
君がどんな人でもいい 感情と心臓があるなら
いつか力になれるように 万全を期して
唄は側に 君の側に (イノセント)
憧れた景色とはいつでも会える 思い出せば
諦めたものや無くしたものが 鳥になってついて来る (beautiful glider)
あまり目立たない楽曲ではありますが、特に「イノセント」はBUMPのスタンスを決定付けた傑作だと思います。
投げっぱなしというか、少しぶっきらぼうなきらいはまだかすかに残っていますが、
「君がどんな人でも」「何十年後かの未来でも」「君の側にいて1人にしない」
そういう意味では、「モーターサイクル」も似たニュアンスを含みます。
あぁ君には言ってない そう無視してくれていい
相槌さえ望まない そもそも大したこと言ってない
と歌いながら、
死んだ魚の目のずっと奥の 心に拍手を贈るよ
と優しくするのを恥ずかしがるヒロインのようなツンデレっぷり。
そして2回目の転換点、アルバム『RAY』。
ここで、詞とサウンドが完全に最近のBUMPへと昇華します*3。『COSMONAUT』は革新的な電子音や変拍子、強拍ずらしを意図的にやっている分、ライブでの観客との温度差が出てきてしまったのではないのかと思います。つまり、観客がノれない。特に『orbital period』以降、前までの藤くん自身の内に籠っていたものが、どんどん外へとベクトルが変わっていく過程で、観客との一体化に向かない曲構成、というのは致命的だったのでしょう。ライブではリズムが難しく乗りづらい曲を、最近はほとんど演奏しません*4。
逆に4つ打ち系の取りやすいものを基本とし、極端なEDM調と純粋なバンド調を絶妙にコントラストすることで、ライブ感を意識した曲作りへと到達しました。
大丈夫だ この光の始まりには 君がいる (ray)
この、J-POPと呼ばれたりアイドル的(正しく宗教的な側面があることが否めない)なものも含む姿勢で古参ファンは離れた、とも言われたことがありましたが、アルバム全体を通して聴けば、決してそういう「大衆に迎合した」「売れ線に走った」という短絡的な側面ではないことが分かります。
なかでも顕著なのがいわゆる「バンドサウンド」と言われるもの。「ray」でバンド的ではないキラキラで流行りのピコピコ電子音でBUMPっぽくない、と揶揄されましたが、むしろ『RAY』の中には純粋なバンドサウンドの曲が多いです。「サザンクロス」「ラストワン」「トーチ」など。
さよならを言った場所には 君の声がずっと輝くんだ
君が君を失っても 僕が見つけ出せるよ 君の声で (サザンクロス)
このアルバムを貫くのは別れと変化。輝かしくノリノリの曲調の中に、離別の傷みとそれでも前を向くポジティブさとネガティブさを高度に組み合わせた集大成が「ray」なのです。
ただの私見ですが、こういう経緯が分かっていると、今回のツアー《aurora ark》での数々の歌詞変えは、本当に感慨深いものでした。
特に過去曲の歌詞変え*5。昔の刺々しいまでの不器用さが、今の藤くんへと繋がって観客に優しく届けてくれる、そんな不思議な感覚を味わいます。
誰よりも何よりも "君"をまず ギュッと強く抱きしめてくれ
(ダイヤモンド)
本当に欲しいのは ”君と出会えた"今なんだ (supernova)
そんな心 馬鹿正直に "話せるあなたに会いに来た"
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"僕ら"が一つだったなら "今日という日"など来なかっただろう
(真っ赤な空を見ただろうか)
そしてそのすべてを集約したのがアンコールのMCであり、今ツアー唯一の披露ですべてのプログラムの最後を飾ることとなった「花の名」です。
あなただけに 歌える唄がある
"あなただけに 届ける声がある"
"あなただけに 掴める音がある"
あなただけに 会いたい"音"がある
徹底して音楽での結びつきにこだわった歌詞変え。この花の名前は、紛れもなく"折れることのない揺るぎない信念"を指しているのでしょう。
『aurora arc』はツアー《aurora ark》があったからこそ完成するアルバムかもしれません。標題曲である「Aurora」はそれが顕著で、単曲ではかなり分かりづらい詞の構成となっています。それが、最初は配信限定シングルとして単体で、そしてアルバムの中で他と結びつくことでオーロラのような色彩が見えるようになり、ツアーの開始曲として確固たる世界観を築いていきます。
「音楽が届いているか分からない」過去を歌ったオーロラは、「音楽を見つけてもらえて側に居続ける」未来を歌う流れ星になります。あの船は「時空を旅する方舟」だったのだと思います。
ただ個人的にですが、次のアルバムはまたBUMPというバンドの転換点になる気がしています。というかそれくらいアルバムの区切りとなる「流れ星の正体」の出来が良すぎる…。
なんにせよ、新アルバムも出し切り、大型ツアーを終えた今、少しでも彼らにはゆっくりと休んでほしいと思います。と言いつつ、次のポンツカ、楽しみだなぁ(笑)