フランスっぽさとベルリオーズ
忙しいのとゲームがやりたいのと考えがあっちゃこっちゃに飛んでいて、文章がうまくまとまりません。
特に幻想交響曲について書こう、と思ったものの、まだまだ文献と楽譜を行ったり来たりでいろいろ考えていて、どうにもこうにも形にならない。こういうの、内容の如何を問わず、さっと書いちゃった方が良いんですかね?
私の特性として完璧主義と異常なこだわりがあるので、どうにも不完全な状態で出すのが苦手でして…。精進精進。
誤りがあったら追記で直すのは当然として、そういう間違いをプライドが許さないの、ちょっと自分でも厄介ですね。
今回は大枠のお話。
クラシック音楽が好きな人、もしかしたら割と専門的なことをやっている人でもこういう思考ってあるんじゃないかと思います。
「フランスっぽい音楽」とか「ドイツっぽい音楽」とか。
正直、自分も都合の良いときにはパッと口についてしまいます。
ただ、この認識ってちょっと考えてみれば偏見甚だしいんですよね。
それを分かった上で話している、とは思うのですが、あくまで大雑把なイメージでしかありません。
ことにフランス音楽に対してはほとんど「=印象主義音楽」と結びついているように思います。その認識は、音楽史から見るとある種、当然の帰結なのですが、それはまた今度。
ベルリオーズという作曲家がフランス人とはあまり認識されていないように思います。単純な時代性の問題もありますし、やはり強く影響を受けたのがベートーヴェンだったというのも大きいでしょう。
回想録にその衝撃の強さを書いています。英雄交響曲と運命交響曲を初めて聴いたのが1828年のこと。友人への手紙でも、ベートーヴェンを「芸術の極限に到達した者」とし、「別の道で極限まで進まなければ」と言っています。
ベルリオーズは思想的にも自負としてもベートーヴェンの正当後継者であろうとしました。そしてそれは一定程度、達成されていたように思います。
「ベートーヴェン交響楽の批判的研究」というものをベルリオーズは書いています。
作曲家でありながら指揮者(むしろこっちが本業)であり、評論家、つまり文筆家でもありました。
やはりもともと医学生であり理系的な考え方だったのでしょう(これもとんでもないステレオタイプですが)。そのうえ、文学の素養もあったのですから、詩的でありながら論理的というすごく惹きつける評論をしています(ただしちょっと誇大妄想気味)。
上記評論の中で、ベルリオーズは(当時の)フランスの聴衆に対してこう述べています。
吾々フランスの公衆は、音楽が興へ得る生き生きした熱烈な感情を、ごく稀にしか経験しない。けれども、ひとたび彼等が大感激の状態に陥らうものなら、常人が誰であらうと、此れに価した芸術家の感謝に比すべきものは絶無な程である。*1
権威をもつ者の間ではベートーヴェンの交響曲は賛否両論だったようですから、その受容の後押しを聴衆がしていたようです。
最も、ベルリオーズ自身はベートーヴェンの交響曲の受容については感情的にはなっておらず、そのような賛辞に対して皮肉も漏らしています。
私は、しばしばベートーヴェンの作品を聴いて涙を流していた。その涙が、私たちにとっての神の死という苦しみによって引き起こされたものではないのは事実である。*2
あまり好ましい表現ではありませんが、ベルリオーズの曲の中にドイツ的な要素が認められるのも事実です。特に「交響曲」という枠組みは一定の斬新さを見せながら、ベートーヴェンのそれをそこまで過剰に崩してはいません。
どのような点が新しく、どのような点が旧来のものを踏襲しているのか、また見ていきたいと思います。