交響曲の終わり方のお話~ベートーヴェン編
交響曲の終わり方、って結構大事ですよね。内容如何にももちろん関わってくるのですが、演奏会での効果、この点を無視するわけにはいきません。
交響曲は平均しても40~50分程度の曲が多いです。
CDとかで好きな作曲家の好きな交響曲の好きな部分を聴く、というのも現代において十分楽しみ方としてアリだと思います。
しかし、コンサートに出かけてその日その時間のたった一度の機会でその曲全体を楽しむ、というのも良いものです。というか、まあ本来はそういうものなんですけどね。
そうなると、やはり終わり方ってその楽しみの最後を飾るもの。どういう風に終わるかで演奏会のイメージにも繋がっていく、というのは当然だと思います。
これ、聴く側はもちろん演奏する側にも関わる問題で、静かに終わる良さ、オシャレさ、みたいに語られることもありますし、それも分からなくはないですが、やっぱりカタルシスというか、ジャンっ!って豪快に終わる感覚、気分としてとても良いものだと思います。
チャイコフスキーの悲愴交響曲だったり、マーラーの交響曲第6番だったりというのはとりあえず例外として置いといて、クライマックスでラストを迎えるのは、概ね以下の4パターンだと思います。
- みんなでその曲の主音を伸ばして終わり
- みんなでその曲の主和音を伸ばして終わり
- みんなでその曲の主音を短く鳴らして終わり
- みんなでその曲の主和音を短く鳴らして終わり
これ、統計する意味も含めてちょっとずつ見ていったら面白いんじゃないか?
っていう単なる思い付きで、少しずつまとめていこうと思います。なんか新しい発見がある、はず。
ある程度の統計が取れたところで、この終わり方から読み取れるニュアンスだったり効果だったりも考えていけたらと思います。
ということで今回はベートーヴェンの交響曲、全9つを見てみようと思います。
え、ハイドンとかモーツァルトはいいのかって?めっちゃ多いんだもん。
まあ実際の話、両者の後期交響曲はいずれやろうかと。前期はまだ交響曲という名の組曲みたいな風情がゴロゴロあるので、とりあえず除外。気が向いたらやります。
ちなみにですが、この終わり方というのは演奏会の終わり、と前述しているとおり、終楽章(たいていは第4楽章)の終わり方についてです。各楽章の終わり方もまとめると楽しそうですが、大変なので後回し。き、気が向いたら…。
交響曲の改革者であり一代きりで完成者とも名高いベートーヴェンの交響曲は、何と言ってもパワーの塊です。
音楽家が貴族の手から離れ自立していった、というのも去ることながらフランス革命の時代を生き抜いていた、というのも大きいでしょう。
片山氏はベートーヴェンの曲について「わかりやすい、うるさい、新しい」と指摘しています。
これは非常に的を射ている指摘だと思います。和声法としての革新性、使用楽器の拡大などの「新しい」はもちろんのことですが、運命交響曲に見られるような執拗なパターンの繰り返し、展開は複雑にしながらもその元となる主題はシンプルで「わかりやすい」、そして何と言っても軍楽隊よろしくな全楽器の咆哮は「うるさい」。
そんな要素をもつベートーヴェンの交響曲の終わり方がおとなしいはずがないでしょう(笑)
この「うるさい」の部分、かなり興味深い考察が上記の本でなされているので、気になった方はぜひ読んでみてください。
各曲について
さて、まずは第1番。
安定のffですね。そしてまだまだハイドンやモーツァルトの雰囲気を引きずっている曲でもあります。
そしてご覧の通り、これは③でしょう。ハ長調のドミナントとトニックを交互に連打し、最後は全員が主音を叩きつけて終わり。定番ですが、やはり気持ちの良いものですね。
ちなみに、最後の小節が空いているのは、2/4拍子でありながら、2小節(4小節)フレーズをとり、4/4拍子のような設計をしているからです。シューベルトなど、古典派や初期ロマン派にはよく見られる書法です。これについてもどこかで言及したいですね。
続いて第2番。
こちらも滲み出る個性と旧世代の感覚が尾を引いている佳作。
安定のff(2回目)。こちらは長らく続く主和音の後に、やはり1番に同じく全員で主音を叩きつけます。もちろん、③ですね。
記念碑的大作の第3番。
ベートーヴェンが満を持して発表し、今なおその絶大な人気と価値が認められている曲。
そして安定のff(3回目)。ここに来て、終わり方は④となりました。
しかし、その構成はかなり歪です。変ホ長調ですので、主和音はEs音、G音、B音。
各楽器別にみると、
どうでしょう、このアンバランスさ(笑)
これはある意味、③に限りなく近い④と取っても良いと思います。これの考察はまとめで行いましょう。
第4番。
3番と5番に挟まれて少しマイナーな気は否めませんが、個人的に大好きでとても魅力的な曲です。確かに両曲のような形式的な豪快さはありませんが、後の7番を思わせるようなエネルギーに満ちた曲。
前回までと違い、最後に弱奏部が挿入されることでメリハリがついていますね。まあ最後は安定のffです。
そして、3番と違い完全に④の終わり方です。
ただし、主和音の中でも、F音は一切ありません。その代わり各セクションに満遍なく第3音のD音が配置され、バランス良い厚さを実現しています。
みなさんご存知、第5番。
楽器も増強され、戦車のごとく桁違いのパワーで終結部を押し切ります。(良い意味で?)しつこいとも言われますが、このページだけ見てもなんだか圧倒されそうですね。楽譜にはありませんが、無論、ffです。むしろ他の曲よりも長時間、大音響が鳴っているんですね。
これはどう見ても①です。混ぜてもらえないトロンボーンは有名なお話。初めて終結部が伸ばしの音で終わりました。
後にちゃんと話題にしようと思っておりますが、この主音の配置も聴こえ方として重要です。ピッコロが高音域の主音を伸ばしている分、コントラバスと5オクターブもの違いが出て音の壁のような効果を生みます。
標題音楽の先駆けでもある、第6番。
田園的なホルンソロに導かれての終結です。con sordino(=弱音器)とこの時代にしては珍しい指定ですね。ということで幸せに満ち、落ち着いて終わるかと思いきや、安定と信頼のff。いや、さすがです。
こちらは④ですね、また和音による終結に戻りました。ティンパニが省かれており、いわゆる打楽器的なパワーはありません。
また注意するべきは、トランペットのみ第5音のC音を吹いているところです(ヘ長調に対してC管指定)。弦楽器など、開放弦の問題もありますが、基本的に和声として、C音→A音とA音→F音、という3度下降の動きを重視しているところが特徴的。
某ドラマで一気に有名曲になった、第7番。
「舞踏の聖化」とも称され、とにもかくにも熱狂的に駆け抜けていきます。紛うことなきffです。特にオスティナート・バッソ以降はとどまるところを知りません。
管楽器が和音を形成しているため、こちらも④ですね。
弦楽器は全員が低い主音を演奏しますが、以前の曲のようにパワーを溜める間が作られず、快速なリズムのまま雪崩込みますので、和音の薄さはあまり気になりません(むしろ三回の和音で弦楽器が主音→厚い和音→主音と流れを作るので自然です)。
第8番。
これも人気曲に挟まれて少し不遇な感がありますが、古典的な外枠に騙されるといけません。形式、楽器の使い方、和声、あらゆるところで工夫が凝らしてあります。
終わり方は③、と言いたいところですが、申し訳程度にヴァイオリンの開放弦(第3音)が混ざっており、バランスという意味では第3番よりも偏っています。まあ実質の演奏効果として③で捉えて間違いじゃないでしょう。
ちなみに、この曲も例に漏れずffです。
年末恒例、第9番。
もう我が国では知らない人はいないんじゃないだろうか、っていうほどの人気曲ですね。合唱もついてあれだけの分かりやすく歌いやすいメロディ、本当に天才の業です。
合唱やオケに参加している人ならいざ知らず、有名な歓喜の合唱の部分しか知らない人には、実は終わりは結構びっくりポイントな気がします。
こちらは完全に③ですね。マーラーの合唱ありの交響曲のような壮大な終わりかと思いきや、最後はテンポを上げて一気呵成に過ぎ去ってしまいます。
特に木管楽器によってニ長調の音階が提示されているものの、最後5小節はつなぎの和音以降、完全に主音の連打で終わります。音量?ffに決まってる
4分音符につけられているfは、音符一つに対しての指示で、sfと捉える方が正解だと思います。
まとめ
さて、シンプルに数で比較してみましょう。
- 1曲
- 0曲
- 4曲
- 4曲
第3番と第8番のような微妙な線引きはありますが、このような結果となりました。
第8番にしても④にしても完全にバランスのよい和音を配置する、というのはほとんどありませんでした。そのどれもが第5音が添え物程度な扱いです。第6番もトランペットのみ、第7番もフルートの2ndのみです。
おそらくは倍音列の特性を当てはめているのだと思われます。第3倍音と、完全五度音は低次倍音として現れるため、省略しても和音としての機能に不都合はありません。むしろ少し厚さがなくなる分、音の抜けが良くなり、最後を伸ばさずに終わるような場合にはこちらの方が効果的であるともいえるでしょう。
こうして見ると第5番はかなり特殊な立ち位置ですね。ハイドンやモーツァルトにこんな終わり方の交響曲ってあったっけ?
また、他の作曲家についてもいずれやってみましょう。