仙人掌

音楽成分多めですが徒然なるままに。

チャイ5のシンバル続報とトランペットのお話

さて、ものすごくタイムリーなことに、音楽之友社から巨匠たちに関する本が出ていたので読んでみた。

 

 

当然のごとく、メンゲルベルクの項目はありますので見てみるとまさにチャイ5に関しての記述あり。

 

メンゲルベルク自身が特にチャイコフスキーという作曲家にこだわっていたようです。

チャイコフスキーの弟モデストと親しかったことに触れ、作曲者が自ら指揮した後に書き込みをしたスコアをプレゼントされたと語っている。(中略)ケンペンらの録音にも同様のカットとシンバルの追加があることから、モデストが上記書き込みスコアによる演奏を幅広く指揮者たちに働きかけていたことがわかる。

 シンバルはもちろんのこと、最終楽章のカットについても遺族側(弟)は容認どころかむしろ推奨していたみたい。そのメンゲルベルクにプレゼントされたというチャイ5の自筆譜って今はどちらにあるのだろう。そしてそこにはどのように書いてあるのだろう。

 

ちなみにブライトコプフ新版のパート譜には2か所の「vi-de」指定によるカット案が示されている。かなり大幅なカットなので、通常のものに聴き慣れていると肩透かしを食らいそうな部分。4,5,6番の交響曲の中で5番は一番楽章間のバランスが良いと思うのだけれど、カットされちゃうと4,6番同様に頭でっかちになりそうですね。

多分、自筆譜を基にこのブライトコプフの新版も校訂がなされたのだと思われる。そしてこのように楽譜に指示が書かれるということはそのような書き込みがあったのでしょう。それを採用するかどうかはともかく。

 

メンゲルベルクの演奏とかを聴いていると、おそらくシンバルは終楽章の最高のクライマックス1発のみ。ただケンペンとか他の指揮者は2発やっているものもあるそう(未確認)。

ここから後にジョージ・セルもシンバル追加を採用したようなのですが、セルはカット案の方は採用していません。ここらへんはもう演奏効果と音楽の構造を見た指揮者の裁量によるのかな。結局どちらも慣例にはならず、むしろシンバル追加がキワモノ演奏みたいに扱われてしまっているけれど…。

 

 

 

 

ちょうどシンバルが鳴り響く最高の盛り上がりの部分、ここの慣例の変更としてトランペットも挙げられますね。こちらはバーンスタインを筆頭に様々な大指揮者が採用しています。

そもそもなぜこの最高潮の部分でトランペットをメロディから外したのでしょうか。

オーケストレーションの観点から話をすると、すでにロシアでは長管トランペットと短管コルネットの統合化が進み、ほぼ短管トランペットが進出している時期だと思われます。

第1番(1866年)…ト短調 → in D

第2番(1872年)…ハ短調 → in C

第3番(1875年)…ニ長調 → in F

第4番(1878年)…ヘ短調 → in F

第5番(1888年)…ホ短調 → in A

第6番(1893年)…ロ短調 → in B & in A

実際のところこの指定にどこまで意味があるのかは計りかねています。このころはさすがにヴァルブ・システムも普及しているでしょうし。この中で特殊なのは第3番。確かに1楽章の序奏はニ短調ですが、主部からはニ長調になるのでそこでin Fを指定したのはそういう響きが欲しかったからなのか…。指定を真に受ければ第4番以前はすべて長管(2番のC管はちょっと怪しい)、第5番以降はすべて短管です。

R.シュトラウスが増補したベルリオーズ管弦楽法ではホルンの項目に、ワーグナー式である記譜を調性に併せて変えていくスタイルをおすすめする旨の記述があります。奏者は気にしないし、そっちのほうがスコアの見栄えがキレイになるそうで。奏者にとっては嫌がらせに等しい美的感覚は個人的に分かるけれど、現代では文句いっぱいですぜ、シュトラウスさん。

 

管弦楽法

管弦楽法

 

 

チャイコフスキーが曲中で表記を変える、というのは見た記憶がありません。第6番も1楽章がin Bで残りの楽章がin Aと、楽章間での変更です。

1楽章でin Bを使った理由はおそらく中間のHigh-Bを響かせるためでしょう。変ホ長調の和音が鳴る圧倒的な場面です。

 

当時はB管とA管をちゃんと使い分けていたようです。それどころかR.シュトラウスの記述には、

現代*1のトランペット奏者は、1番トランペットは高いA,B,C管、2番トランペットはF,D,Es管の楽器を好んで使う傾向が見られる。

 とあるので、そもそもパートによって管の種類を変えていたみたいです。むしろ1番は短管で2番は長管と種類すらも違う。

だいぶ遠回りをしてしましたが、チャイ5の問題の箇所はホ長調に対してA管です。考えられる理由としては3点。

チャイコフスキーは曲中の決め所で効果的にHigh-Bを使います(cf. スラヴ行進曲、1812年など)が、それ以上の音域は使っていないので危険だと判断していた。

②一番のクライマックスである箇所で金管楽器の音域的にどうしても間が抜けてしまう(トロンボーンとホルンがほぼ同音域であることから)ため、トランペットが上に行って響きが薄くならないよう配慮した。

③すでに短管が主流でありA管指定にしたため使用を断念した(A管だとD音表記になるためスコア的にも美しくない)。

なんかどれも取ってつけたような理由ですが…。シュトラウスの記述を見るとまだ長管も廃れた訳では無かったようですし、事実、奇しくもチャイコフスキーが亡くなった約1か月後に初演されたドヴォルザークの新世界交響曲では、トランペットが終楽章で高らかにHigh-Hを吹き鳴らします(ちなみにチャイ5と同じくホ短調でこちらはE管指定)。

 

この改変、善悪はさておきクライマックスの盛り上がりとしてはやはり聴き映えするので個人的にはアリです。

ただしシンバルやらカットをしていたメンゲルベルクは、意外にもトランペットの改変はしていないようです。つまりトランペットの方こそ原典主義に当てはめてしまえば、トンデモなキワモノ演奏に分類されてしまうのでしょう。

やり尽くされたような名曲もまだまだ謎は多いです。

*1:1900年代当時